青D日記

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神の有用性を道具性の観点から考察し、その後その考え方を剥離させあるべき位置へ還すこと2

久しぶりに更新再開して、3日目で早くも更新が面倒くさくなってきた。
3日坊主というのはいつになってもつきまとってくる問題なのだろう。

で、哲学は生きる意味を与えてくれるものではなかったってところまで書いたんだっけ。
昔は思ってることを早く言おう早く言おうと思う余り、しかるべきプロセスを省略して
ダイレクトに結論を伝えてたけど(自分ではそれで相手に全てが伝わった気になってた)、
最近は逆に、言葉を弄しすぎて逆に迂遠になっているのではという恐れがある。
いや、どれだけ言葉を尽くしても人の観念なんてものが完全に伝わるはずはないのだから、
そういった意味ではあらゆる文章はしかるべきプロセスがどこかかけているということになるのかもしれない。
まあそれはさておき。

だから僕は、哲学から再度離れることにした。
大学に入ってから哲学と訣別するのはこれで3度目だ。
1度目は入学当初、『ヴィトゲンシュタイン宗教哲学日誌』や『純粋理性批判』をいきなり読もうとして完膚なきまでに打ちのめされた時とき。
2度目は年が明けて勉強をしなければならないという強迫観念から哲学に向かい、それでも挫折したとき。
そして3度目の今回は、自分が欲しかったものが哲学の中に見出せなかったときだ。
ただ、それぞれ理由は違えど、さらに踏み込んだ「理由の原因部分」はどれも共通している。
つまり僕が読めない本にぶち当たったとき。それが哲学から逃避するときだ。
しかしこう書き出してみると、今まで気付かなかったことが露になってくるな……そうか、結局僕は本が理解できなかったのをあれこれとイチャモンをつけて逃げているだけだったのか。
今の書き出しで全く新しい洞察が僕の中に生まれてしまったのだが、
これを明確に記せるほどにはまだそれは固まっていない。
もやもやと、前言語的な概念が目に見えない胸の裡に渦まいてる。
本来ならばこれも言葉にすべきなのだろうけど、それだと昨日から続くこの一連の記事が全てムダになってしまうことになる。
取り敢えず先に固まっているところから書いてしまおう。
僕は哲学から逃げ出したのだ。
生きる意味を別の場所に求めて。

理性の光を照らすことで世界の真理を究明するのが哲学なら、
信仰の祈りを捧げることで個人の救済を図るのが宗教と言えるだろう。
哲学から逃げた以上、僕に残されている道は後は宗教しかないように思えた。
だが周知のとおり、ここ日本では宗教に対する奇異の目線がとりわけて強い。
表だって迫害こそされないが、「キリスト教の信徒です」と言おうものなら珍獣と出会ったかのようにみられることだろう。
哲学とアンサンブル的に発展してきた諸科学は、現代では宗教をまるで羊を追い立てる猟犬の如くに隅へ隅へと追いやるのだ。
だから神を思うことすら、懐疑的にならなければならない。
中世では考えられなかったことだろう。人の傲慢はウロボロスのように自らの思考が生み出した絶対者すら打ち砕き虚無へ還そうとしていると知ったら、アクィナスは、ベーコンは、アウグスティヌスはどのような顔をするだろうか。
本来絶対の存在であり、一種の精神治療の道具として見られることなど在り得なかった神。
だが僕はここでその絶対存在を道具にまで格落ちさせた上で、敢えてその「利便性」を調べてみようと思う。


疲れたので今日はここまで。長くても2日で終わると思ってたのに案外長引いてしまっていてびっくり。







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